【富岡町の魅力発信「とみおかアンバサダー」 (前半)】

 

活動スタート!「とみおかアンバサダー」とは?

今から1年半前の2019年11月19日-。

私はこの日福島県富岡町に訪れていた。富岡町は浜通りに位置し、桜の名所などがあり花と緑が溢れる町だ。自然が溢れ人々が穏やかに暮らせる地域だが、震災後は東京電力・福島第一原発事故に伴い、状況は一変し全町避難となった時期もある。その後2017年4月に一部を除き避難指示は解除され、人と人との交流も少しずつ進んでいる。

その交流の1つとして、私を含め福島県内外からあるプロジェクトのメンバーがこの富岡町に集まっていた。

そのメンバーとは「とみおかアンバサダー」である。このとみおかアンバサダーとは、首都圏や富岡町外、いわゆるソトモノの視点で、富岡町や富岡町民の魅力、想いを発信したり、富岡町産米を使用した日本酒の新銘柄を考えたりすることを目的としていて、富岡町のまちづくり会社・一般社団法人とみおかプラスが協賛企業とともに行った企画で誕生した。

選ばれたメンバーは、東京・神奈川・栃木などの関東や大阪、福島県内などから集まった15名。職業は塾の講師やフリーランスのイベントMC兼ビデオグラファー、プロカメラマン、福島県内の地域おこし協力隊、舞台俳優、移動型銭湯の主宰者、ゲストハウスの経営者など個性の溢れる面々だが、それぞれ富岡町や福島県に想いがあり、また発信が得意なことや日本酒が好きなこと、地域全般に興味があることなどが共通点にある。

▲とみおかアンバサダー&富岡町民の皆さんと(とみおかプラスFacebookページより)

私自身、2010年~2014年まで福島県のラジオ福島でアナウンサーをし、福島を離れた後も福島へのボランティアや視察のツアーなどを企画したり、福島のテレビ番組で仕事をしたりするなど自分自身で福島との関わり方を模索してきた。

「自分が生業としてきた“伝える”という力を通して東京から福島に関わり、福島を応援したい」という想いがさらに強くなっていた時に、とみおかアンバサダーの話は自分自身にとって嬉しい出来事だった。

とみおかアンバサダー初の視察 

この日は第一回視察1日目で、まず富岡町の伝統的なお祭り「えびす講市」に向かった。

えびす講市は、富岡町で大正12年から始まった秋市である。五穀豊穣や商売繁盛を願い、事代主神社の例大祭に合わせて、震災前は富岡町中央商店街で開催されてきた。しかし、震災後は原発事故に伴い約7年間中断を余儀なくされた。その後、2018年に町の復興の為、町の有志の皆さんにより復活を遂げることが出来た。

この日はえびす講市実行委員長の菊池さんやとみおかプラスの大和田代表理事にも話を聞き、町の皆さんにとって故郷を感じられるこの祭りを通して町の復興に繋げていきたい強い想いなどを感じた。

▲えびす講市実行委員長の菊池さん

未だ震災前より居住者が少ない富岡町だが、この日は沢山の富岡町の皆さんの笑顔で溢れていた。会場に音楽ライブを披露できるステージや地域の人たちが作ったお菓子やワンタンスープ、串やきなども販売されていた。何か買うたびに、「どこから来たの?」「じゃぁおまけで入れとくから~。」と明るく声をかけてくれ、少しの時間でも地域の人たちの温かさに触れることが出来た。また、嬉しそうな町の皆さんの姿を見て、これから町を変えていこうとする力強さも感じられた。

そして、この日とみおかアンバサダーの中にははじめて顔を合わせたメンバーもいたが、秋市の楽しい雰囲気や町民の皆さんの親しみのある空気感のおかげもあり、すぐ打ち解けられ、この時間を素直に楽しむことが出来た。

▲えびす講市で楽しむとみおかアンバサダーメンバー&

とみおかプラススタッフの皆さんと

その後、隣町にある東京電力廃炉資料館へ移動し、東京電力・福島第一原子力発電所の事故を振り返った。

当時私は福島にいて、原発事故が起きたときの状況は10年経とうとする今でもしっかりと覚えている。あの時は震災報道の16時間勤務を終え、家で休んでいるときにその瞬間は起こった。周囲からの情報で予感は少ししていたものの、実際に原発が爆発している映像を目にしたときは衝撃を受けた。時間が経つにつれてその時のことを思い出すことは少なくなっているが、この資料館に足を踏み入れて様々な映像やパネル、音声ガイダンスを見て聴くうちに記憶と感情が蘇り、当時の恐怖と悲しさ、そしてその後福島県の方々に起こった出来事を思い返し、原発事故に対しての怒りも込み上げてきた。

色々な想いはあるが、強く思うことはこの悲劇は今後絶対に起きてはならない、また10年たった今も辛い思いをされている方がいることを忘れてはならない、ということだ。

▲東京電力廃炉資料館内

2日目は、バスで町内を視察。

富岡町役場の秋元さんのお話を聞きながら、富岡漁港やローソク岩、夜の森(よのもり)の桜並木など富岡を象徴する場所を巡った。再開した富岡漁港に希望と津波で削れてしまったローソク岩に切なさを感じ、来年の春にも美しく咲くであろう夜の森の桜並木たちに期待を寄せた。湧いてくる想いをとみおかアンバサダーのメンバーと共有しながら、富岡町、また福島に今何が出来るのか、皆で考えていた。

萌-KIZASHI-の誕生 シンボルは“ツツジ” 

とみおかアンバサダーに今回任されたミッションの1つは富岡町産の日本酒のラベルの考案である。

「富岡町の魅力といえばやはり夜の森の桜」と考えていた私は桜を使ったラベルがいいのではないかと考えていた。2.2キロメートルにも及ぶ桜のアーチは圧巻で何度観ても美しく、ずっと観ていたいと思える。その光景をもっと多くの人に観てもらい、富岡のファンになって欲しいと考えていた。

しかし、今回萌のラベルに選ばれた柄は、“ツツジ”である。それは何故か?

実はツツジも富岡町を象徴する花なのである。富岡町北部に位置する夜ノ森駅では、毎春、沢山のツツジが咲き誇り、その美しさから夜ノ森駅は「東北の駅100選」にも選ばれたこともある。しかし、震災後、そのツツジたちは除染作業とともに刈り取られてしまい、現在見ることが出来ない。私も富岡町に足を運び始めたのは震災後だった為、直接そのツツジたちを観たことがないが、町の皆さんの話を聞くと愛されていた景色であり、町のシンボルの1つだったのだ、と感じられた。

ツツジの話を聞いた2回目の視察後、4チームに分かれた私たちとみおかアンバサダーは話し合いの末、3回目の視察でラベル案を発表。復活を願うツツジのラベル案が採用されたのである。

▲とみおかアンバサダーで議論を重ねる(とみおかプラスFacebookページより)

そして、昨年2020年3月10日に富岡町の名所である夜の森の桜並木が続く道路の一部や夜ノ森駅周辺の避難指示が解除され、14日にはJR常磐線が全線で再開。夜ノ森駅でも電車が利用できるようになり、伐採されたツツジも少しずつ再生に向かっている。徐々に進み出している富岡町への想い、ストーリーが萌から伝わってほしいと願っている。

▲3月14日以降利用出来るようになった夜ノ森駅

(後半に続く)

記事作成:2021年2月22日

佐々木 瞳トラベルライター

投稿者プロフィール

地域のキラキラを伝えたい 日本酒ナビゲーター 福島県とみおかアンバサダー 文化放送 ・SAKIDORI レポーター 金15時半〜 ・サンデーNEWSスクランブル パーソナリティ 日17時50分〜 東京MX東京ホンマもん教室 MC 日19時〜

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