川内村 村のくらし 其の1
川内村史によれば、明治22年4月1日を期して下川内村と上川内村が併合し川内村が誕生しました。初代村長には議会における選挙で神職の秋元房輔という人が選ばれたものの町村制に抵触することがあって県の許可が一時棚上げになり、秋元氏が神職を辞任することで漸く8月に県から許可が下りたと書かれています。
この原稿を書くに当たって村史を紐解いたお蔭で分かったことでした。
去年は村制130周年を祝う記念式典が盛大に行われました。目出度いことです。
川内村は面積約200K㎡、標高400m~600mの盆地で人口2,500人。
高齢化率42%が示すように今でこそ若者が少ない村ですが、
昭和30年代に生まれた私が学校に行く頃は
第一、第二、第三と3つの小学校があり、
中学校は3つの小学校から子供たちが集まって来るので
1学年に4学級があり、1学級の生徒数40人。
他の小学校から入学して来る子達とは初顔合わせなので、
緊張しつつも期待が大きく、友達も大勢できて楽しい3年間を過ごしました。
高校は双葉町に下宿して3年間、
東京では通算3年間寮とアパート暮らしをして栄養学校を卒業後、
川内にUターンして来ました。
帰って来てから友人に言われたことが、
「3年間も東京にいたのに全然川内弁が抜けていないね。」
友人は田舎から都会に行けば自然になまりが抜けると思っていたのかも知れないけれど、
私は自分のしゃべりに全く頓着していませんでした。
川内で結婚して3人の子供を育て、今は晴耕雨読に近い生活を送っていますが、婦人会活動を通して村とも関わって、支えられたり、支えたりして暮らしてします。
平成23年の大震災・原発事故後は「浜通り」何れの町村と同じように人口は減少しています。村は、人口減少を何とか食い止めようと色々な施策で、定住人口にこだわらず交流人口や関係人口なるものを増やそうと頑張っています。
その象徴的な事業である「第5回川内の郷かえるマラソン大会」はコロナ禍で中止になってしまいましたが、参加人数は年々増えて今年は1,763人!
例年だと
年度始めの4月に「かえるマラソン大会」
5月は小学校・中学校・保育園の「合同運動会」
7月の第二土曜日は「天山祭」
8月は「夏季野球大会」と「BON・DANCE」
9月「敬老会」
と続きますが、殆どの行事は中止ないしは規模縮小を強いられました。
全く新型コロナウィルスには手も足も出ない状況です。
行事の次は村の施設について書いてみようと思います。
先ずは天山文庫です。
今は天山文庫と資料館を合わせて「かわうち草野心平記念館」という名称になっていますが、長福寺の先々代住職の招きに応じて心平先生が川内村を訪れたのが、先生と村との繋がりの始めです。
1960年に名誉村民に推戴され(「名誉市民とかだったら受けなかったけれど名誉村民だなんて面白いから受けた」と先生の弁)木炭生産が盛んだった村が東京のご自宅にお礼に送ったのが木炭百俵。
帰りのトラックには先生の蔵書が載せられて来ました。
頂いた蔵書を納める書庫として造られたのが天山文庫です。
1966年に完成した天山文庫は茅葺の2階建てで、築54年を経たその佇まいは森の木々に囲まれて何とも言えず魅力的です。
設計は第二・第三書庫を含めて山本勝巳さんという建築家です。
この方は会津武家屋敷も手掛けています。
第二・第三書庫は会津の花春酒造さんから頂戴した酒樽を逆さにして円錐形の屋根を付けたユニークな造りです。
酒樽書庫の写真を見てバンガローと勘違いする人もいましたが、バンガローとしてはちょっと小さ過ぎます(笑)。庭の植栽や十三夜の池の趣は心平先生の意向に沿って造られているのですが、その時の庭造りの様子を先生が詩に書いていて資料館に展示してあります。
天山文庫の自在鉤のある居間には棟方志功の書1点と川端康成の書2点があり、来館者の方々からは、
「お宝鑑定団に出したら高値がつくんじゃない?」
などと言われたりしますが、確かにそうかもと思ってしまいます。
寝室の襖には、
先生が墨で書いた「ゐ」「ろ」「は」の文字。
床の間の壁にもかなり崩した「天」の文字。
時々頼まれるこの記念館の管理の仕事をしていると、心平先生の川内での生活はこの建物にギューッと凝縮されていたんだなぁと感じられます。
心平先生はこの天山文庫を山の家と言って親しみ、秘書の難波幸子さんを伴って年に数ヶ月間文庫に滞在し、村民との交流を日常的に楽しんでいました。
今は亡き義母が営んでいた雑貨店で、サンダル履きに麦わら帽子を被り手には買い物籠をぶら下げて、世間話でもしているような写真を見たことがあります。
1988年に先生が亡くなってからも30年以上に亘って天山祭が開催されていることは驚きに値します。第55回目の今年のお祭りは中止という事で残念でしたが、例年ですと婦人会も「村のごっつお」という、山の幸を中心とした弁当作りで協力をしています。
献立はほぼ毎年同じもので、ご飯・お煮しめ・ふき炒め・わらびのお浸し・味噌小芋・きゅうり漬け・天ぷら。いわなの郷のいわなの塩焼きも加わります。
参加費は500円ですが、お弁当・樽酒・ビール・ソフトドリンク・村の郷土芸能・歴程詩人による詩の朗読・小学生の詩の朗読やアトラクションなどがあります。
去年は村内の「野菜勉強会」というグループが、採りたて野菜の販売も行いました。フェンネル、ロマネスコ、フィノッキオなどの変わったイタリア野菜が好評でした。実施時間は昼を挟んだ2時間程で、川内甚句を皆で踊ってお開きになりますが、先生が存命のころのお祭りは、いつ果てるともなく続いていたそうです。それこそが本来のお祭りかもしれませんが、今日日なかなか出来ることではありません。ましてや主人公が天上では。
最近、「かわうち草野心平記念館」の来館者の中に若い人が増えて来ました。
リピーターも多く、更にリピーターが友人を連れて来る事も珍しくありません。若い管理人の志賀さんが、仕事としてだけでなく、個人的にも草野心平先生にのめり込んで一所懸命に外に向かって発信していることが少しずつ実を結んできているように思えます。
そもそも心平先生が川内村を訪れた目的はモリアオガエルを見るためで、平伏沼はモリアオガエルの繁殖地として国指定の天然記念物になっています。真っ白い泡に包まれた卵塊を沼の水面に張り出た木の枝に産み付け、6月の産卵期には数百の卵塊が枝先をたわませます。鳴き声も特徴的でまるで太鼓を打つような声です。体はきれいな緑色ですが、夜行性のためなかなか目にすることが出来ません。常は山中に棲むという神秘の蛙です。
「うまわるや 森の蛙は 阿武隈の平伏の沼べ 水楢のかげ」 草野心平
というわけで、来年の天山祭には是非お出で下さい。